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膠原病友の会 ~膠原病とともに生きる~

みなさん、今週もおつかれさまでした!

 

なんか今日は頭から『ノートルダム大学』と『剛毛男子』が離れません。どうも隅田です。

※youtubeの見過ぎだと思ってます。間違いないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日は今週唯一の在宅勤務日でした。

 

 

今日は会社の打ち合わせがWEBで数件ありましたが、お盆明けの2週間を使って、『金沢⇒東京⇒岐阜⇒埼玉』という鬼スケジュールを2週間かけて実施することが決まりました。笑

 

 

コロナ対策の観点やら、あらゆるリスクを考慮に入れながら取った結論です。楽しい夏になりそうです。

 

 

 

 

まぁ今思えば、こうやって仕事で全国飛び回れる仕事に未だ就けていることが奇跡に近いよなぁとふと思ってしまいました。

 

 

 

 

タイトルにも記載しましたが、膠原病患者なんですよね、わたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し昔の話をします。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発症したのは今からもう5年前になりますね。

 

そうですね、原因不明のたらいまわしから数か月、良いのか悪いのか、膠原病(関節リウマチ:SAPHO症候群)だと宣告されたのは5年前、2015年3月4日だったと思います。

 

いやぁこれがまた運命なのかなんなのか、私の友人数名はもしかしたらピンとくる方がいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

私の好きなアーティストさんのLiSAさんのアルバム『Launcher』の発売日だったんですわ。笑

 

 

 

関節痛を堪えてアニメイトまで買いに行ったのを覚えています。

 

 

 

いや通販があるやろw

 

 

 

って思う方、気持ちはわかります。

 

ただ、店舗限定特典というものがありまして、あれ?あとどの店舗で買ったんだっけ?とにかく、直接買ってイベント整理券、抽選券とかを入手する、というのが当時の恒例でしたので、それは頑張って買いに行った記憶があります。

 

 

 

 

ええ、案の定、翌日は動けなくなり一日寝込んでしまいましたw

 

 

 

 

 

この時はまだ歩けたんですよね。正直ギリギリの範囲で。

 

 

 

3月下旬?4月頃にはもう歩くことがつらくて、手すりがないと前を歩くのが怖いと思っていた記憶があります。

 

階段を一段降りるのにも10秒以上かかってたんですよね。

 

ペットボトルの蓋は開けられないし、肩は90度以上上がらないし。ベンチがあるたびに休んでいたし。指が痛いから携帯もろくにいじれない。

 

 

もう、ここまで人間としての機能が失われると、だれかと行動をするのが本当にイヤになるんですよ。苦笑

 

 

 

階段を降りようとしたら迷惑がかかる。

 

 

誰かと一緒に歩こうとしたら迷惑がかかる。

 

 

自分がもしかしたら死ぬんじゃないかと思うと一緒にいたら迷惑をかける。

 

 

本当に、今思うと信じられないくらいふさぎ込んでいました。

 

 

 

 

 

 

ただねぇ、そんな中でも愛すべきバカっているんですよ。

 

そんな状況にも関わらず、私はこの期間、『長島スパーランド』と『東京ディズニーシー』に行きました。友達の家にも泊まりに行ったんじゃないかな?

長島に至っては、半分レイプに近いものがあったくらい半ば強引に連れていかれました。

 

当時、バレエの先生が心配してたくさん連絡をくださったんですが、この時も心配して電話をくださって『今遊園地なんです!』と言ったら涙流して笑ってくれました。本当に心配かけました。本当に、、、ありがとうございます。

 

 

 

本当に楽しかったんだろうなと思える写真がこちら。笑

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この写真を見ると、ウサギとのテンションの差にいつも腹抱えて笑ってます。

 

 

 

 

 

正直、この時はいつ死んでもいいと思っていました。

 

親からは生きるんだよ。と言ってくれるのを『はいはい、ありがとうね。』と半分聞き流していましたが、この長島もそう、夢の国に連れて行ってくれたこともそう、心配して家まで遊びに来てくれたこともそう、電話してくれたのもそう、病院まで一緒についてきてくれたこともそう、お酒呑めないって言ってるのに居酒屋に連れて行ってくれてビール飲んで具合悪くなった思い出もそう、そういった一つ一つのありがたみが無かったら、どうにかなっちゃってたかもしれません。

 

 

まぁ、生きてるからこそ書ける話ですが。

 

 

 

病名が明らかになってから初めて治療についての話をされるようになりました。

それまでは、ただひたすら鎮痛薬、痛くなったら鎮痛薬、鎮痛薬、、、を繰り返してましたね。

鎮痛薬がきれると、、、そうですね、骨折したときの痛み。。。くらいには痛かったです。全身が。

 

 

 

まぁステロイドもたくさん服用しました。

 

 

私がとった策としては、最初は多量に服用し、経過とともに量を減らして症状を抑えるという流れでした。これはなんとなく成功したみたいです。私もビックリ。

 

まぁもう一日に40mg?60mg?の服用は、もう絶対に経験したくないです。

 

 

これと併せてリウマトレックスなんかも服用しましたが、これは大ハズレでした。服用とともに激痛でしたね。すぐにやめました。

 

 

セレコックスも処方されましたね。

 

 

あとはヒュミラ40mgという、これは自己注射ですね。

ヒュミラはかれこれ4年くらい隔週で打ち続けました。

今力量評価したら、注射スキルAランク貰えると思います。

それくらい無意味な才能を開花させました。

 

 

(今はメトレートとサラゾスルファピリジンをメインで服用してます。ありがたいことに、セレコックス、ステロイド、ヒュミラは卒業できました。)

 

 

 

 

そんなこんなで、死んでもいいと思って命がけで遊んでいたのも燃え尽きまして、4月~6月くらいまでは泥のように寝る毎日でした。

 

6月にはまずまず調子もよくなって、リハビリのためにジムでプールに入ったんですよ。

ただひたすら歩いただけでしたが、汗かいてるのがわかって、、、一人泣いたのを覚えています。

 

運動して汗をかくって、こんなにも気持ちがいいもんなんだなって。

 

当時お世話になったジムの方は、みんな私を気遣ってくれて、優しい言葉をかけてくれました。本当にあの頃の水中リハビリはいい思い出です。

 

 

 

 

7月にもいろいろありましたね。

 

 

この頃はだいぶ元気にもなって、少しだけなら走ることもできた記憶があります。それも数歩くらいですが。。。

 

 

そんなとき、会社には週2くらいで出社していたのですが、その時は休んでいることをいいことに、休みを利用して日帰りでユニバに行ってしまったんです。

※出社日以外は欠勤という取扱いで会社からはこの上ない配慮を頂いていたにも関わらずの過ちですよね。。。

 

 

 

 

 

ユニバはね、本当に楽しかったです。

 

 

 

 

ただ、ユニバに行ったことが、すぐに会社にバレました。

 

 

 

『お前、あの日、本当に家にいたのか?』と。

 

 

 

会社はすぐにその事実に気が付いていたそうですが、それでも身体のことがあったので、概ね仕事のリズムが戻るまでは黙っていてくれたそうです。

 

 

 

あの時は本当に、、、言葉にならない気持ちになりましたね。

 

 

 

自分も少し元気になって、遊べるようになって、さんざん心配してくれていた人達に対して、職場全員を裏切るような行動を起こしてしまって。。。

 

 

 

一日も早く健康になって帰ってくることを願っていた人達が、会社を休んでいるときに『遊んでいました』って聞いたら、そりゃ誰も、、、いい気持ちにはなりませんよね。

 

 

 

 

 

なにやっていたんだろうなぁ、本当に。

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで、今まで務めた営業職から品質保証室への異動も決まり(同じ社内ですが、転職したかのようなコンバートでした)、最初は病人スタートだったので、身体の負荷が少ない軽い事務作業からスタートしました。

 

 

 

 

いやぁ、やることがなかった。

 

 

 

やる気もなかったです、正直。 

 

 

 

パソコンいじっても薬飲んでるから眠い。

 

 

 

新聞読んでも眠い。

 

 

 

なにをするにも気持ちが入らない。

 

 

 

そんな日々を少し続けていたのですが、そこからいろんな方からモチベーションを分けてもらい、自分のできる範囲で、雑用から真剣に取り組むことを始めました。

 

 

挨拶する、掃除もやる、お茶出しもやる。電話もとる。

アンテナはれるだけはって、できることがあったらやる。

できないことがあればやってる人のを見る、学ぶ、奪う。笑

 

 

次第に気持ちも入ってきて、病気の経過も良くなったのを実感するようになりました。この時はバレエにも気持ちが入るようになって、いろいろな舞台にも出させて頂いたのが記憶に新しいです。

 

 

 

転勤した後に名古屋で舞台に出る機会を頂き、私はそこで大好きなLiSAさんの『いつかの手紙』を自分で振り付けして披露するという大きなチャレンジをすることとなります。

 

 

 

 

本当に、最高の舞台でした。

 

 

 

 

 

この曲は本当に大好きなのですが、病気で寝っ転がっている時に聴いていたら、なんか自分を重ねて聴くようになってきて、

 

 

『なんか、いつかは元気に踊れるようになるのかなぁ。。。この曲で踊ってみたいなぁ。。。』

 

 

って少しばかり、当時から思ってはいたんですよね。

 

 

 

 

 

自分が感じる心の痛みだったり

 

 

 

 

僅かながらに願う夢とか未来だったり

 

 

 

 

言葉にできない気持ちを踊りにできたらなぁ

 

 

 

 

遥か未来の僕がこの手紙をみたら、良かったねって思えるようなものを届けたいなぁ

 

 

 

 

寝転んでいるときは夢物語でしたが、お話を頂いてからは、当時の気持ちをひとつひとつ言葉にして、形にして、振り付けにして、、、そういう思いを少しでも舞台で届けられたらと思って精一杯踊りました。

 

 

 

 

名古屋でお世話になった病院の先生だったり、病気を心配して面倒みて下さった方だったり、一緒にLiSAのライブに行ったLiSAっ子だったり、、、本当に、言葉で『元気だよ』とメールを送ってもきっと伝えられないような、自分が踊りを通して『元気になったよ』って伝えられたような気がして、すごく貴重な機会となりました。

 

 

 

 

あの時に頂いた拍手は、、、今の私につながるきっかけだったのかもしれません。

 

 

 

そうか、これがチャラになる瞬間なんだなって。。。

 

 

 

 

 

そうやってがむしゃらに過ごしていたら、気が付いたら自分に仕事が与えられ、責任が付与され、関与する人が増え、応援してくれる人ができ、いろんな人を巻き込めるだけ巻き込んでかたっぱしから改善を進めていったら、なんか今に至りました。

 

 

 

 

 

 

今では部署のチームリーダーに加え、労働組合の執行委員長に、連合の上部団体の常任委員だったり、いろいろな役割を担わせて頂き、、、本当に不思議な世の中です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長くなりましたね。

 

 

 

 

私は決して、病気に打ち勝ったとか、そういう成功体験を自慢したいわけでは無くて、

 

 

 

バカなことだってやっていい。

 

 

辛くなったら誰だって一度は死にたいと思ったっていい。

 

 

歩き疲れたら休めばいい。

 

 

カッコつけようとしなくたっていい。

 

 

人生一回くらい、長めに休んだっていい。

 

 

でも、あなたを待ってくれている人はきっといるんだよ。

 

 

辛い時に、隣を歩いてくれる人、引っ張ってくれる人、背中を押してくれる人はいるんだよ。

 

 

なんか、うまく言葉にはできないけれども、それを踊りに変えて、仕事に変えて、私の毎日の中で、だれかの支えになれたらいいなぁと思ってます。

 

 

そういう気持ちの中で、『膠原病友の会』にも参加させて頂きました。

 

 

支部会員として、何かお役に立てられるよう、支援させていただきます。

 

 

 

 

 

 

最後に、私は今もバリバリ元気でやってます。ここまでこれたのもみなさんのおかげです。心から、ありがとうございます。

 

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ここまで読んで頂きありがとうございました!

 

 

 

 

 

今日という一日に、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

隅田