みなさん、今日もブログを覗いてくださりありがとうございます!
今日は気を失ったように寝ておりました。
ここからが私の一日のスタートでございます。どうも隅田です。笑
今日は、前回までのコミュニケーションに関する記事とは少し違った内容となります
番外編ですね。
私自身、クラシックバレエをもう26年続けております。30歳になった今でも。
時には、他の習い事(私は20歳くらいまでは水泳の方が大好きで生活のほぼすべてを水泳に捧げておりました)を優先して「バレエやめようかな」と思ったこともあれば、膠原病になったとき、無責任な医者から「もう難しいんじゃないか」なんてことも言われました。苦笑
私も、そんなこんなでいろいろと経験をしてまいりましたが、それでもバレエを踊れている、習い続けることができている、舞台を経験させてもらえる、だれかに応援しておらえる、舞台に観に来ていただける。。。今の私にとってもバレエのやりがいとは、本当に『周りの方の支え』があって成り立ってます。
決して当たり前なんかではないんですよね。
それを本日改めて実感する出来事がありました。
ろうを生きる 難聴を生きる
「夢はプロのバレリーナ」
という番組(再放送)を観ました。
聴覚障害を抱え、人工内耳をつけてバレエの上達を目指し続ける一人の女の子を特集したものです。
私も膠原病になるまではそうでしたが、身体的な障害を抱えている方に対して、「なんとなく大変なんだろうな」という先入観を抱いてしまいがちだと思います。
私がなんで「膠原病になるまでは」という表現を用いたかというと、難病指定とされる
病気を言い渡されたときに、障害者申請の話を受けたことがありまして、その時にいろいろと自分含め見つめなお直すすきっかけとなりました。
※結果的には、関節リウマチの障害者申請の基準に身体の可動域をテストする項目があるのですが、あまりに身体が柔らかすぎて申請が受けられなかった、、、というオチになってしまいましたが。。。苦笑
私もまだまだ勉強が至らないところでございますが、身体障害への理解を深めると、かける言葉や手の差し伸べ方が変わってくると思います。
結局は気持ちの問題だとは思うのですが、それは知識がちゃんとある方が『気持ちの問題だよ』と言うからこそ説得力があるものであって、無知はなによりも恐ろしいものだと感じております。
話を本題に戻しますが、人工内耳をつけてバレエを踊るというのがどういうことかというと、人工内耳は『マイクで拾った音を電気信号に変換し、脳へ送り込む』という仕組みのようで、音が複雑であったり、ノイズが混じったりすると変換しにくくなってしまうそうです。
バレエで置き換えると、単純なピアノの音であれば聴きとれるものの、テンポが複雑になると音取りが遅れてしまう、踊りがワンテンポ遅れてしまうんですね。
バレエにとって、この音楽と踊りとでズレが生じてしまうのは致命的である、というのも番組内で語られていました。
その女の子がこの課題を克服するために、普段の稽古のみならず、家でもリズムをとる練習をしたり(スピーカーに実際に触れることで音を五感で感じ取る練習や、聴こえてくる音楽をタンバリンでリズムをとる、という練習をされていましたね)、ただひたすら特訓をされていましたね。
実は、この子のお母さんも聴覚障害者だそうです。
お母さんご自身もバレエの経験があり、当時自分が感じたバレエの世界の厳しさを知っているからこそ、精神的にも鍛えられるのではないか。聞こえないことを聞こえないという勇気や、わからないことをわからないという勇気を、当たり前のことだけど教えてくれるのではないかと、そう感じて、あえて厳しいバレエを選んだそうです。
番組内で特集されていたコンクールでも優秀な成績をおさめていました。
本当に上手に踊られていました。
その子は最後に、
学校で耳が聴こえないことが理由で友達ができにくいこともあったりしたけど、それでもこうやってバレエを踊ることで、同じ耳が聴こえない同年代の人たちを元気づけたい。
そう笑顔で仰ってました。
うまく言葉にできないのですが、涙が止まらなかったです。
本当に心から尊敬します。
差し出がましいかもしれませんが、いつかその子とパドドゥを踊りたいなぁ、なんて思ってしまいました。
自分が今こうして当たり前に生活ができて、好きなことに打ち込めて、支えてくれる方がいて、、、
当たり前なことなんてひとつもないですよね。
今日の私を支えてくれる全てのことに対して、心から感謝しようと改めて実感した一日でした。
珍しく日記のような記事になりましたね。
また是非ともブログに遊びに来てください。
ここまで読んで頂きありがとうございました!
今日という一日に、ありがとう。
隅田